労働、労働、死ぬまで続くのだ。
冬休みに他人に勉強を教える仕事をしてからというもの、ほぼ休みなしの日々が続いている。旧正月(春節)は名目上こそ休みだったが、親戚付き合いや帰省時の長旅などがあり、結局は別の形での労働に過ぎなかった。実家に戻って落ち着くや否や、また休む間もなく授業の仕事に取り組んだ。人に教えるというのは本当に大変なことだ。私と同じ学習塾でアシスタントをしている友人と話したとき、私たちは皆、人に教えることを冗談交じりに「地獄の苦行(クソゲー)」と呼んでいた。暗記すべきことは覚えられず、計算はできず、概念は混同し、まともなコミュニケーションすら成り立たないのだから無理もない。だが、それは彼らのせいではない。責めるべきは彼らが置かれてきた教育環境だろう。それぞれに複雑な事情を抱えているのだ。様々な理由から、彼らのほとんどは過酷な大学入学統一テストの洗礼を受けておらず、専門学校への特別入試枠で進められた者たちだ。中には中学校の勉強すらまともに終わらせていない者もいる。今はただ仕事を見つけたいという一心で、お金を払ってまで私たちのマンツーマンレッスンを受けているのだ。
最初は学習塾で講師のアシスタントをしていたが、後に独立して個人で教えるようになった。おかげで収入はいくらか上がり、授業の準備時間も節約できた。毎日の授業時間は7時30分から11時までで、料金は400人民元だ。時給換算で100元以上と一見割高に思えるかもしれないが、生徒の基礎学力の低さを考えれば、このお金は一切の良心の呵責なく受け取れる。それどころか、本当に骨の折れる仕事だと言えるほどだ。
さて、本題に戻ろう。新学期が始まり、私は休む間もなく自分自身の学業に没頭しなければならない。本当に自分は永遠に忙しいのではないかと感じる。いわゆる「休息」とは、単に別の少し楽な作業への切り替えに過ぎない。仕事で疲れ果てて帰宅すれば、Vibe Codingをして息抜きをし、パソコンの前に座ることにイライラし始めれば、部屋の片付けや掃除に取り掛かる。物事へのモチベーションや、人間の持つ限られたエネルギーの総量という点において、私は人と人との圧倒的な差を実感している。生まれつきの才能に恵まれ、エネルギーに満ち溢れている人たちがいる。彼らは次々と成果を出し、何報も論文を発表し、非常に生産性が高い。彼らの唯一の制約は時間であって、精力やモチベーションではないかのようだ。一方で、私を含めた大多数の平凡な人間は、彼らのようなパワフルな生活に憧れても、気持ちばかりでどうにも体力が追いつかない。しかし、そうした有能な人たちの高い生産性を目の当たりにするとどうしても焦りが生じてしまい、限界ギリギリまで自分を「現実世界の永久機関」のように稼働させるしかなくなるのだ1。
幼い頃から受けてきた競争の激しい中国式教育が、私たちを歪ませてしまった。中国の有名な予備校講師が言い放った「君のような若い年齢で、どうして呑気に眠れるんだ」という有名なフレーズがある。本来は授業中に居眠りする生徒を叱責する言葉だが、ある意味で私たち世代の無意識に深く根を張り、病的な状態にまで追い込んでいる。人生において、完全に「上がり(中国のネット用語で、試験合格や安定した職への就職など、安泰な岸に上がることを指す)」となるゴールなど存在しないのだ。小学校では中学校のお受験というゴールを目指し、中学校では高校受験、高校では過酷な大学受験というゴールを目指す。そして大学に入れば、大学院進学、博士課程、公務員試験、就職活動といった次なるゴールが待ち受けている。学生時代を終えて社会人に出ても、昇進や業績評価、日々の生活費といった悩ましい問題が尽きることはない。労働、労働、死ぬまで続くのだ。どこかのゴールに辿り着いて一生安泰などと望んでいるのか?残念だが、そんなものは不可能なのだ。
そのことを痛いほど理解していても、私は立ち止まって休むと虚無感に襲われ、苦しくなってしまう。だから、永遠に忙しく、永遠に働き続けるのだ。身体が求める休息を満たし、運動でホルモンバランスを整える。私にとっての休息とは、自分の好きな、比較的心地よい作業に切り替えるだけのことに過ぎない。過当競争な教育や業績至上主義(メリトクラシー)の影響が骨の髄まで染み込んでいるため、生き急ぐようなこのライフスタイルは、おそらくだいぶ先まで変わることはないだろう。
それでも、良い面を見るようにしよう。この時期の忙しさのおかげで、今学期の生活費を自分自身で稼ぎ出すことができたし、さらには母親の誕生日に新しいスマートフォンをプレゼントする余裕までできた。そう考えると、ふと「永遠に忙しい」というのも、それほど悪いことではないような気がしてきた。
ここでは電気工学における理想電流源と実在の電流源の違いをメタファーとして用いている。前者が真の意味での「理想的な永久機関」であるのに対し、後者は私のような凡人が血肉の体で全身全霊をかけて限界まで近づこうとする「現実世界の永久機関」である。 ↩︎
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